瞑想EP5.生命の根源がわかったら

生きてる人間の力量とは、生命の根源を見つけることに意義があります。

人間の力量、それは、リア充ではありません。いいねの数でもありません。

生命の根源、人間の力量とは『呼吸』のことです。

このことを覚えていられれば、いつでも瞑想的でいられるでしょう。

でも、日常のあらゆることに私たちの心は振り回されてしまいがち。

西インドの瞑想の先生は西洋に出張して、とある講義でこう言われました。

肉体に魂が宿っていない限り、あなたは呼吸しません。

精神的な呼吸の本源は、お臍にあります。

そして、呼吸は、生まれてくる胎児を母胎とつないでいたように、呼吸は、出入りを通してあなたの中と外の世界を結ぶ重要な役割を果たし、それに伴って体の感覚や心の状態を一番に知らせてくれる重要なアラームでもあります。

そして、呼吸している時は、ただ単に空気を吸っているのではありません。空気は単なる媒介物で、あなたは、プラーナ(生気エネルギー、生命力)を吸っているのです。空気は媒体でその中身がプラーナです。呼吸によって生命力を吸って、肉体だけでなく、生気体、神経体など深層部の体に生命力を循環させているのです。肉体や感情が荒れていれれば、呼吸も不安定になります。体や心が静まっていれば、呼吸も穏やかでしょう。その外(体)と内(心)の状態を正確に知らせてくれるセンサーアラームが=呼吸です。

(ヨガクラスでは時々、プラーナという言葉を使います。プラーナは目には見えないエネルギーとされていますが、プラーナは、あなたの集中が高まれば、肉眼で感得することも可能です。やり方教えます。)

瞑想するのに呼吸を無理にコントロールする必要はありません。苦しくなく、心地よければ、呼吸は、常に自然でいいのです。成人女性の1分間の平均呼吸回数は18回なので、それよりは、呼吸回数は少ないことに越したことはありません。

ちなみに400年生きるウミガメの呼吸の回数は、1分間に4回です。

私は、これまでヨガに出会うまでに自分の呼吸を自分でみ流なんていうことはありませんでした。呼吸は、あまりにも自分と近くにあり過ぎて、 自分の呼吸に気づいていることがほとんどなかったのです。

「誰だって、昨日の呼吸のことなど覚えていません。」でしょ?

ここで大事なポイント=ヨガの理解=成長を早めるためにも今から『呼吸』そのものに気づいていることの重要性を絶対に忘れないでください。

「常に呼吸に気づいていること」、「呼吸を観察し、呼吸と共にあること」

→その先に瞑想が起こります。

このブログの瞑想EP2

にも書きましたが、結果を求めて瞑想すると瞑想に失敗します。

結果を期待して行為を行わないことをカルマヨーガといいます。ポーズをとって汗かくことだけがヨガじゃないんですぜ。

アシュタンガヨーガの8支則のステップでいうと↓

正しい姿勢→呼吸と感覚の統制→集中(注意を向け続ける)→→瞑想に入る

すると。。。宇宙とビンゴします。本当です。

瞑想は科学であることを数字でいうと。。。呼吸の数を108×16回=計1728回カウントして呼吸するとその時、瞑想状態に入ります。本当です。

私、これについて自分で実験しました。ルドラクシャーマーラー(108玉の数珠)を使って、sat,namのマントラムを使って呼吸回数約1700回ほどカウント時の約2時間45分過ぎごろ、自分が地球を見下ろす大仏のようになったことをはっきりと体感しました。

瞑想のあれこれ技法を試す前に、ただ呼吸の観察だけを数ヶ月続けてみるのもいいかもしれません。その時は、自ら呼吸をコントロールしようとせず、自然な呼吸を意識してください。試しに、一日中、生活しながら、歩いている時もお皿を洗っている時もいつでも呼吸という生命力と共にいてください。

それでも!あなたはすぐに他の事で頭がいっぱいになり、呼吸の事をいつの間にか忘れてしまう時があるでしょう。だから回数小なう必要があるし、毎日覚えている必要があるのです。僕が命がけで習得して伝えているヨガは、クリヤ、クンダリーニ、ラヤ、ラージャヨガのmixされたもので、かなり過去から現代に伝わってきたものを先生たちが良いところを切り取って作られたマハシッダヨガです。マハシッダヨガの実践者で有名なのが、仏教の開祖ゴータマブッダです。

「何をしていようと呼吸に気づき自然な呼吸と戯れて遊ぶ。呼吸の観察を忘れていたことを思い出したら、すぐに気づきを呼吸に戻すのです。」←これは、仏教の経典出入息経の超簡単な訳です。

ゴータマブッダが、宇宙と大ビンゴした時にしていたプラナヤマ(呼吸法)と瞑想がアーナパーナサティです。

(⇧呼吸の気づきの瞑想)アーナパーナサティの詳しいやり方については、興味ある方個別にクラスでお話します。技法については、基本口伝を守るよう伝わったので。。。一応個別で)

では、どれぐらいの間ただ座り、呼吸への気づきを通して肉体の感覚や周囲の音を楽しめるか見てみましょう。体に起こってくる痛みなどによって、はじめのうちは、座って瞑想を始めたとしても数分で嫌になってしまうのは誰でも一緒。

瞑想は科学ですから科学変化の過程は同じです。

こんな過程を経ていきます。↓

1、目を閉じる→2呼吸を観察する→3呼吸のことを忘れてしまう→4頭の中のおしゃべりがはじまる。瞑想ではなく考え事をしている私

みんなにも聞いてみましたが、心のお喋りがペチャクチャ喋り始めるまでの時間は、誰でもそれほど長くはなさそうです。10秒?20秒?せいぜい1分ぐらいでしょう。

しばらく坐って、そのおしゃべりに注意すれば、あなたは驚くはず!

次から次へと沸いてくる沢山のつじつまの合わない、それに接点の全くないお喋りの連続。誰かがそれを聞けば、あなたを狂っていると思うかもしれません。そのような状態の時には、知らないうちに体は緊張していて、心は次々と何かを求めてくるでしょう。。

この絶え間ない内部のおしゃべりが、私がよく言う人生の各瞬間が用意してくれているものを楽しませず、私たちから生を剥奪してしまうのです。人生の貴重な瞬間から私たちを切り離し、奪い取ってしまうのです。

心のお喋りに振り回されている時は、物事の真実を折り曲げて見てしまうため、人生のチャンスタイムを取り逃がしている時が多々あるのです。このどうしようもないおしゃべりをどうすればいいのでしょう。。。

このブログに書いてきた頭の中のおしゃべりを止める方法を解き明かしていきます。

なんでこんなこと書くかと言うと、信じなくてもいいですが、宇宙人は、地球人のことを未開人(例)と言います。宇宙人にも脳があるからです。

未開人とは、要するに脳能力が低い人間のこと(潜在意識5%以下で働いている人間のこと)です。なぜ低いのか?それは、心の動き、頭の中のおしゃべりが絶えず止まらないからです。

集中、注意力は私たちの潜在的能力である想像力と直結していて、体力をそこまで必要とするものではないので、何歳からでも何歳までも高めることができるのです。ヨガにあまり年齢を重要しないのはそのためです。僕らのヨガ練習会は小学生から参加OKです。

言葉で言うのは簡単ですが、はじめのうちは、心のお喋りである思考を観察することは、とても、、、、とても、非常に難しいことです。

というのは、思考を観察しようとすると更に余計思考してしまうからです。

思考の渦ってやつです。思考の沼。

だから、まずは、ただ「呼吸」だけに意識を向け、常に自然な呼吸を観察し続けることに専念します。

だからと言って、生きていくために何も考えなくてもいいのですか?

という質問がありました。

究極を言ったら、イエスです。生まれる前に決めているので考えなくていいです。

なぜなら、考えた時間は、ただの人生の浪費に終わるからです。

でも、現在2018年では語弊になるので、

実践中は、その事以外何も考えなくていいのです。とさせてください。

次々沸いてくるマインドのおしゃべりを直接止めることはできないですが、瞑想によってお喋りの1つ1つに気づきが向けられることで、そのお喋りが静まり、ついには消えていきます。それが瞑想のシステムです。

あなたの内部にある思考の90%を占めているのは、過去の後悔と未来への不安です。これらは、全て恐怖という頭の中のおしゃべりです。実際のところ、これらは、今ここには実在せず、ただの妄想にすぎないため、あなたを精神的に圧倒して疲労させるぐらいで、実際に何の力もありません。

ふぅ〜んと思った方は、呼吸の観察の話を理解した上で、高濃度水素原子を吸いに来てください。670,000ppmの水素原子を吸引できます。67万ppm原子ですよ!?

脳梗塞や心臓発作でもう死ぬ!っていう人が救急で病院に運ばれた時に吸わせて復活させるあれです。正常な呼吸のできるおっさんが約1時間吸引すると綺麗なおじさんになります。笑!アトピーの子供や疾患のある女性におすすめ。

スミヨシ接骨院 0561-55-0377

瞑想EP4.哀しみにさようなら

『瞑想が哀しみを終わらせる』という話

瞑想をテーマに書き始めたシリーズのこれが第4回目ですが、このようなブログ形式のサイトだと、順立てて書いていっても読んでもらう時は、遡って読むことになるので、順序が逆になり、わかりずらくないか心配になります。それでも、みんなの瞑想理解が深まるよう、1記事ごとに大事なことに焦点を絞って書くよう努めます。始めたばかりのサイトだから、とにかく書き続けることが大事。

みんなにヨガのことをお伝えすることを僕の目的にしつつ、読むだけでみんなを瞑想的にしてしまうことを楽しみに。このブログには、意識上昇のためのあらゆるマインドコントロールが含まれております。明るいお部屋でお読みください。

というより、元々理解しがたいテーマについて、思いっきり踏み込んでおりますので、一遍には伝えれなくても何度でも書くつもりです。よろしくお願いします。

瞑想することと言っても、実際、中々やれないのが普通ですから、瞑想を学びたいと思った人は、その気持ちを大切にしてください。そして、1日5分でもいいから目を閉じて自己の内面を観察しましょう。まずは、呼吸から!

きっと前世からの瞑想への学びの続きがあるはずです。そういう人には続きの学びはきっとある!僕はそのお手伝い役です。そんな気が今すごいした。

さて、本記事のお題に入ります。

欲望とはある意味、心が満たされてないという哀しみ。

ふとした思いつき言葉ですが、前回かその前の「感情の器」の話に似ていますね。

私たちは自分を知らないことで哀しみがずっと続いていくでしょう。とプネーという西インドにいた瞑想の先生の思い出深い言葉です。

自分を知る。これは瞑想理解にとって重要キーワードですね。

自分を知ることが自分を自由に。

哀しみを終わらせるために、人生の不満を解消するために、これまでどれだけ多くの時間を使って、いろんなことをしてきたでしょうか?

何を体に入れ、何を所有し、何を他に与えてきたでしょうか。それで哀しみは終わりましたか?一瞬気が紛れたにすぎなかったのでは?結局、また次の哀しみを呼んでしまうにもかかわらず、また外の環境や他人に働きかけようとします。

なぜこうしてしまうのでしょうか。。。。

それは、哀しみを終わらせるには、

人生に不服があるのなら、

他人や仕事や生活の環境、他人の行いに対してなど、外的な物事に働きかけるように社会から教え込まれてきたからです。しかし、そのやり方は、あまり意味がありません。だから。。。。

ここでヨガ的成長をしましょう。

今日のテーマである「悲しみを終わらせるには?」

ただ、ただ自分を知ることしかないのです。 

社会は、人々に自分を知って欲しくありません。人々が個(オリジナル)になると社会が人々をコントロールににくくなるからです。

社会は人々をコントロールするために、自己ではなく他人に注意が行くようにメディアを使います。テレビは本当に優れた洗脳道具です。

自己理解や自己認識、自分を知るということは、自分が思い出したり、考えたりするあらゆる思考に気づき、意識の働きとその背後に隠された無意識の働きの全てに気づくことです。自分を知るということ→悲しみを終わらせるには、あなたは、あなたの気づきそのものになることです。

自分の全てに気づいていること。それが瞑想の核心です。

とても単純で、とても奥深いポイントです。ほんとこれさえ覚えていられれば、you areヨガマスターです。社会は、人々にオリジナルになって欲しくないから、メディアや情報を使って、人々の気持ちを個々の外へ外へと向けさせようとするようにハッキリとできています。これでわかりましたか??

昔の知恵者と呼ばれた人たちは、何故、瞑想することによってコンピューターのような頭脳を持っていたのでしょう?彼らは、常に瞑想し、まず、自己認識能力を高めてから、医学→天文学→文法→法律などと次々と自分の興味あるものを取り入れていったそうです。私たちも、自己認識を高め自分を知り、その後、自分の興味あるものをどんどん人生に取り入れていくべきです。子供達にもそれを勧めていける親でありたいと思います。

これには、重要なポイントがあって、自己認識能力が高まると自分の興味あるものを自分に取り入れていく場合の時間がとにかく驚くほど短縮されるんです。

自己認識を高めていくと、自然と人は興味のないことはやらなくなります。なぜなら、自分の興味のあることで十分、世間や他人に貢献できることを自己認識を高めていく過程でそれを知るからです。

瞑想が、人間の精神が引き受けることのできる最も偉大な冒険なのは、何もせず、そこに行為も思考も感情もなく、ただ「在る」ことだからです。ただ「在る」事を引き受けられるのは、その人だけです。

ひとたび自分の中にくつろいでいられるなら、それは瞑想になってるといえます。しかし、人は、中々、自分の中にくつろいでいられることができません。

実用性のないヨガは、ヨガとは言いません。昔から、ヨガを伝えてこられた先生方の本などにもヨガや瞑想の目的は、神との合一、宇宙と一体となること。などといった言葉でヨガについて盲目的な人達を迷わせていますが、ヨガが地上に降ろされた本来の目的というのは、あなたは形を持たない自由な無限の意識であるということを思い込みや信念ではなく、それを心が理解するためであり、それが、ヨガの目的です。自分が意識である事を理解できると、自由な意識は、拡大も収縮もでき、深刻であれば塊のように収縮していくし、くつろいでいれば拡張していきます。

自分の意識が現実の作り手だということを早く理解されるますように。

瞑想EP3.瞑想があなたに降臨する

3、『自己理解』は何もない時に起こる。

自分を知るというのは、簡単なことのようで、意外と人というのは、自分の社会的立場や住んでいる環境、自分の名前以外には自分を知りません。いったい自分は誰で、なんでここにいるのか?全く知りません。

心の科学として構成されているヨガというのは、その鍵を開けて中に入り、続けることができれば、決して難しいものではありません。それを人生かけて実践したとしてもとても付き合いやすいものです。

それは、ヨガそのものが、主に心と体、脳と呼吸を取り扱っているからだと私は思います。

ただし、闇雲に今から床に座って瞑想を始めてみても、それは時間の浪費となります。ここで、瞑想を実践する前に、瞑想そのものを理解しておいて欲しいところがあります。

瞑想のやり方ばかりを求めてしまい、瞑想への在り方への理解がなかったために、瞑想を取り逃がしてしまった人たちは大勢いるのです。私も実際に多くの時間を浪費しました。

結果に期待せず諦めないで続けることが大切なことです。というより最も大切なことだと思います。瞑想のやり方というのは、ハッキリ言って、コツされ抑えていれば、あなたがよければ、何でも構わないのです。

その理由は、本来のヨガの実践や瞑想は、あなたの内面、脳の中で行われることなので、他人から見て、あんたの内面で何が起きているかなど誰もわからないからです。自分でしっくりきていて、続けられればそれでいいのです。

瞑想が理解されるとき、そこに愛があらわれます。瞑想とは、愛が炸裂することです。

瞑想する人がすっかり消え去っている完全な静寂のときにだけ、愛が姿を表せるのです。

例えば、河口湖に映る富士山です。考えや感情が、さざ波。それらさざ波が消える時、富士山が湖一面に完璧に映し出されて現れます。その瞬間は、鳥肌立ちまくりのまさに地球が見せてくれる愛そのものです。

心は思考や感情として動きます、心が静かになれるのは、心が自らの動きを理解するときだけです。

自分の思考や感情を理解するには、観察した対象を避難する眼差しがあってはなりません。それは、自分自身を避難する行為のカルマを生むからです。人は、毎瞬のように葛藤のカルマを蓄積し続けています。後にそれを全て受けるのは、その人自身です。

それら、避難してしまう感情や考えが現れても、自分への避難批判が蓄積しないよう毎瞬浄化していられれば、心はいつでも自由でいられます。心の綺麗な人は、自分を妨害するものが少ないので高次元から世界を見、常に生を楽むようになります。

子供達がよく信じがたいものを見たりできるというのは、常に良し悪しを決める心がないので、世界をありのままを見ることができるからです。

さて、あなたが自分自身について知るとき、あなた自身をスキャンするように見つめ、どのうように歩き、どのように食べ、何を話してるかを見守り、憎しみや怒り、期待などあなたの内面の動きを見つめ、それら一切に気づいているとき、それはすでに瞑想になっています。

駅までの道を歩いていても、窓から外を眺めていようと、気づいて行うことはいつも瞑想になっているのです。

瞑想するとは、拍子抜けするぐらい単純で簡単なことです。しかし、人の意識は、本来、生きるための自己防衛本能、生命維持機能と共に常に外を向いているので、鍵を開けないと瞑想に至るのが難しいのです。

瞑想に至るには、自分自身に何がおきているかに気がついていること。

あなたの中で起きていること、それらに気づきを向けてること。

そして、瞑想が降臨するのを待つ。これだけです。

要は、何もしていません。

自分に気づいている状態に至る最も簡単な方法としては、『呼吸』だけに意識を向けることとされています。

何度もヨガは人生かけて習得することです。と表現するのは、誰でも死ぬまで呼吸しているからです。

思いや感情が体のどの部分に反応し、どこから沸いてくるのかをその時の呼吸の状態と同様、注意深く気づいていられるならそれは瞑想になっています。

気づきの向け方ですが、呼吸や体から始めて、次に内面への気づきへと向けていきます。

ハタヨガが、特に体へのアプローチから入って気づきを高めていくように作られているのはそのためです。目覚めている間、いつでも呼吸、背骨や指先などの体の部分、思考感情などこれら全てに気づきを向けて、これら全てに気づいて過ごせるのであれば、わざわざクラスに参加してアーサナを練習する必要はそれほどありません。それよりクラスで隣の人を意識してしまったり、他人とポーズの綺麗さ体型を競い合っていては、アーサナの練習の本末転倒になります。

しかし、クラスに参加したとしても、呼吸や体への気づきをもってアーサナを練習するのであればヨガの成長は爆発します。

ヨガが目の前にやってきたとしても、体の柔軟性を気にしてヨガを始めるのをためらう人もいますが、体のエネルギーの流れがスムーズに行える程度の柔軟性があれば、十分高度なヨガを行うことは可能です。

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瞑想EP2.結果を求めると失敗する

ベナレスヒンドゥー大学で聞いた南インドの賢人クリシュナムルティの瞑想の話をします。彼は、数多くの瞑想本を出していますが、私程度の瞑想理解では、彼の言葉はどれも深すぎて、当時は読んでいても意味がわからないものがほとんどでした。

彼は、瞑想のことを生の中で最も偉大な芸術、偉大な冒険と表現しました。

「瞑想、、その偉大さは、書籍や人からではなく、自らの経験を通してのみ

学べるものだから美しいのだ。」と、その深い表現も流石です。

瞑想とは、常に醒めて気づいている状態のことです。これは眠りとは違います。瞑想は行為ではなく、行為のその先の何もないところにある状態のことをいいます。

瞑想的な人にとって、生とは楽しみであり、真に瞑想的な人は、とにかく生の全てが遊びに満ちています。ふざけているとられることだってありえるでしょう。

瞑想的な人は、生そのものが趣味であり、生と遊び、いつも生を途方もなく楽しみます。瞑想の本質は遊び心なので、瞑想的な心に余裕のある人を見て、単にふざけていると常に緊張状態にある人からするとそう見えるのかもしれません。

しかし、これは、覚えてください。

瞑想的になると人は深刻ではなく、くつろいでいる。私は、心にこのくつろぎが欲しくて瞑想を始めた一人です。このくつろぎは、世界のどこを探してもありえないのです。

2、瞑想の結果を求めて瞑想すると失敗する←これがこの記事の答えです。

結果を期待せず、結果を求めない行為をカルマヨーガと言います。

瞑想することによる現世利益を期待しなくてもあるので考えない。幸せになる方法を考えていると幸せになれないように考えなければ究極の幸せがある。それを自分自身が「待てるかどうか」だと思います。瞑想とは、待つ活動です。

さて、これだけ情報をたやすく手に入れられる時代であっても、ヨガに出会うかどうかというのは、まず、その人を構成する三種の要素(知性、活動性、怠惰)グナのバランスが、宇宙の根本源質(プラクリティ)と呼ばれる働きと混ざり合って決められることなので、人の意思によって、ヨーガに出会うかどうかということを一切コントロールすることはできません。これは人との縁などと呼ばれる出会いなどもすべてこれに由来していると考えられています。だから、決めるのは、人の要素と宇宙原理の流れのタイミングに他ならないので、縁とか出会いなど個人的に考えなくていいのです。

私たちが自分の意思で決められることは、(食事、排泄、生殖、手作業、歩行)の5つの行動(ギャネンドリア)のみです。それ以外のことは、全て宇宙の根本源質が決めることです。どんな人になる、どんな職に就くなどもすべてそうです。お金持ちは、お金持ちだからといって、お金を稼いでいるのではありません。お金を稼がされているのです。(これはアラブ系ユダヤ人の考え)

ヨガに出会うというのは、あなたにその理由があり、その何か?というのは、あなた以外わかりません。。

難しく考えないで、これらは宇宙の運行(根本源質)が、あなたという人を通して、ヨガしているというぐらいの楽~な気持ちで取り組まれることをお勧めします。何も信じなくていいのです。知ってるつもりぐらいが丁度いい!

バクティヨガ#カルマヨガ#ギャーナヨガなどの高度なヨガにおいてもこれら全てを普通人の頭ごときで考えたところで理解不能なのだから、5000年前から根本源質にそれらを明け渡すよう伝えられてきています。しかし、エゴ(自我)がまだ強いうちは、これは受け入れ難いものです。自我は、瞑想によって時間と共に破壊されていきます。

瞑想は、実証に基づいた心の科学なので、意外と完璧に設計されています。理解さえできれば、病院のベッドで横になっていても、電車に乗っている時でもヨガの能力を高めることは可能なのです。

ヨガは体操競技ではありませんので、ヨガの能力を高めるための鍛錬のほとんどは、人の目にはつきません。というより人が見てもわかりません。

ヨガスタジオに通って、ポーズの練習をする人だけをヨギという訳ではありませんから、ヨギについて言葉で教えるのってほんと難しい。

なので、気づかないだけで、あなたの街にも職場にもヨギはどこにでもいます。

この際、あなたもヨギとなれ! まずは、練習会、ダルシャンに参加ください。

 

瞑想EP1 瞑想の最高本質は遊び心です

ココナッツの汁飛び散る⇦  

瞑想をやる人、瞑想が必要な人のための瞑想の話します

1、瞑想の最高本質は遊び心です。

あぁ。。もうどうしたらいいのか!!??

どうしたらいいのかわからない時は、生きてりゃ誰にでもあるでしょう。

そんな時、行動すれば何かが変わる!なんでもいいからやってみろ!という行動哲学的なものが世には存在していますが、しかし、瞑想にはそれは当てはまりません。

瞑想については、どうしたら良いのかわからない時は、何もしないがベスト。

瞑想は、内へ入っていくものです。外に答えを見出していく社会的な行動常識とはかけ離れているので、瞑想の効果や必要性、瞑想のパワーを常識では理解しがたいものです。

頭で考えて理解しようとしなくていいものですから、ある意味、理解すること自体を諦めることが瞑想の理解のポイントです。

しかし、その理解しがたいものが、あなたを自由にします。瞑想によってあなた自身があなたを自由にしてしまうのです。これ不思議じゃないですか??

あなたを自由にするその本質は、あなたの遊び心です。

ただ、この話の目指すところはヨガによる瞑想的生き方=物の捉え方というところ。現生利益、病気治しが瞑想の目的ではありません。

ところで、意味不明なものを何故オススメしているのか。

答えは単純明快で、それ以上に勝る方法が他にはないからです。このブログ、このサイト自体、ヨーガセラピのために行なっています。今後、肉体的アプローチを踏まえ、内面の癒しを突き抜け生まれ変わりにまでアクセスしています。わたし自身が考案したものではなく、地球に降ろされ伝えてきたものをできる限り正確に伝えることに慎重にエネルギーを注いでいます。呼吸、脳、肉体、魂をあつかっていますので誰にでも当てはまりますが、出される答えは、みんな違って当たり前の世界です。

人生の解決策を他人だったり、生活上の出来事だったり、物に依存するよう求めたり、働きかけてもなんの意味もないことへの気づきを瞑想は手助けしてくれます。

このサイトは、あなたに「自由になってもらう」という目的であり、私の意見に従ってもらうためでは決してありません。。。。さて、今この瞬間、こんな下りの文章を読んであなたの中で何がありましたか?受け入れる思考が動いていましたか、何か反発抵抗するような思考が動いていましたか?

大概、いつもはそこに気づかないで、自分の頭の中の勝手なおしゃべりは、ずっと自分の意思と離れたところで、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃやっていて、その人自身が、自身でなくなりペチャクチャそのものになってしまいます。

だから、そこを観察することから奇跡的なミラクルゾーンへ入って行くんですすよ。そのことを話しますねという話です。私もそうでした。はじめは、この話、母国語が英語でない人の話す英語だったし当時は、グルジ。。。先生、今何言ってんだろ。。。。??この話、なんか意味あるのかなぁ??が、物質的に常に何かを手に入れ続けていないと不安だった頃の疑問でした。

子供達の行動を見ているとわかりますが、心の感情の器がいっぱいになり、心のリミッターを超えると、子供は、泣き叫んだり、スネたり、いじけたりを全身使って思いっきり表現します。そして、度を過ぎると大人に力で抑え込まれます。

大人になると、それを自分で押さえ込んだりして、何とかその場をやり過ごそうとしますが、心の中で生まれた原因となるものは、心から手放せない限り、体の中で生き続けた状態で、無くなることはありません。それが今どこでどうしてるのかさえも知らない。他人のことは、あれこれ口にして説明するのに、自分のことは、何も知らないんです。自分に気づいていない時、誰にでもそういう時があります。

何が言いたいかというと、遊び心を発達させる=瞑想によって、

1.心の感情の器を大きくすることができますよ。

2.押さえ込もうとするエネルギーを解放作用に使うことができるようになりますよ。

3.自由になれますよ。

ということです。

瞑想はiPhoneでいう心というOSのアップデートのようなものです。あなたの心に溜まった汚濁を取り払い心を再び新鮮にできるのは、瞑想だけです。心を浄化する事に瞑想の最たる意義があるのです。

心の汚れとは、無知や喜びも含めた悲しみや恨み、固定概念などが事実を正確に見えなくしているものなどのことです。生きていれば、誰にでも体の皮膚に汚れはつくように心にも汚れは着きます。それを完全に根こそぎ取り除けるのは瞑想だけで、後のことは、おしぼりで軽く拭いたぐらいにすぎません。ストレス解消といって、あれこれする行為だけでは、気を逸らしている程度で、ほとんど汚れは取れてないのです。

ここで信じなくてもいいですヨ ガの話。

私の住んでいる瀬戸市には古くからやっている喫茶店が結構あるのですが、喫茶店に入って席に座ったおじさん達が、まず、おしぼりで耳の後ろを拭くのは、エジプトのスフィンクスの耳の後ろに宇宙への入り口があるという噂を聞いたことがありますが、このおじさん達が、耳の後ろをおしぼりで拭くことは、茶店に入って、宇宙への瞑想への準備を自然としているのかもしれませんね。

これらは、精神的な話ではなく、科学的にという話です。

宇宙人の存在を知る人が増えてきているわりには、宇宙人から見て地球人は劣っているそうです。その点を挙げるとすれば、一番に瞑想する力、集中力・想念の力の使い方を知らなすぎると思っているそうです。何故なら、前から言っていますが、地球人は、頭の中のおしゃべりを止める方法を知らない人が多いので、テレパシー能力が、宇宙の中でも格段に低い惑星人なのです。)←

しかし、これまでの時代背景(争いの時代=約5000年カリユガ)からも特に「瞑想」という言葉の誤解によって沢山の人々が瞑想を取り逃がしています。

要約すると瞑想に対する勘違いにより、現代でも何百万人の人が、これまで家にお風呂がありながら、その家を引っ越すまで家の風呂に入らなかった。。。

ということとほぼ同じです。それでいて、自分は美しく生きたい!と言っているのです。

深刻で暗く、どこか悲しげな表情をした人たち、祝いや楽しみ、歓喜や遊び心を失ってしまった人たち。。。ヘブライ語でロウジンというそうです。日本語の少しわかるユダヤ人のグルジから聞いた話。多分イスラエルンジョーク。

しかし、人々が深刻さによって失ってしまったその「遊び心」こそが、まさに瞑想の最高の本質なのです。

『遊び』とは単なるおふざけではありません。「遊び」とは心の余裕のことです。

まだ今後もあなたが、あなたの肉体の中にとどまることを望むなら、インドの神様の詩を参考にしてください。

「遊び心を探せ、そして、自分の心を破壊しろ。その破壊した方の心も破壊しろ。」byシバ神

実は、これ、言い回しは変えましたが、アップルのスティーブ・ジョブスが、某大学の卒業スピーチで卒業生に語った話です。超簡単に訳すと、死を迎えるその時までに、君の好きなことを探し、人生かけてそれを追求しなさいよ。」&見つかるまで追求することをやめてはいけないよ。」という話です。

iPhone考案者のアップルのスティーブジョブズもヨガの実践者だったことは、結構有名です。自分のipadに唯一入れていた書籍も「あるヨギの自叙伝」でした。私もこの本を読みましたが、噂通り、スピリチュアル本100冊に匹敵します。

私の経験上では、大人も子供も人は遊んでる時の方が心が開いていると思います。あとの時間は、心の中に葛藤を次から次へと溜め続けていて余裕を失っていく。その溜まっていった葛藤は、いずれ体のどこかに現れる。それが日本を含めた先進国の在り方だと私の世界放浪の中で感じたことです。

しかし、瞑想を始めようとするときに、何かしら自分の中に葛藤があった方が、自分自身の変化に気がつきやすいはずです。ただし、あまりにも呼吸や体、精神にひどい障害がある時には、瞑想の中で美を発見することは難しく感じられるかもしれません。

そういう時には、瞑想以前にアーサナの練習を通して体の状態を整えることも大切です。それが、当たり前になるところまで、アーサナ自体が訓練のように感じられるかもしれないですが、アーサナを自分で行えない場合はヨーガ練習会に参加ください。090-8860-8106 ←ヨガの練習会問い合わせ番号です

瞑想は、理屈的に考えて求めるものではありませんので、今、瞑想を人生の中に取り入れていこうと思ったら、すぐにトライし始めてください。

理由は、何よりすぐに始めることがベストだからです。         (私、今後どこで生活しているか未定なので、yogaセラピするのに時間と場所に制限があります。)

(あなたの目的に沿ったゴールを最速で目指すのであれば、yogaプライベートダルシャンに申し込んで、あなたにとって最少最重要のアーサナ、プラナヤマ、瞑想の練習を自分のものにしてください。)

(大勢で集まって練習するリクリエーション的なことはしていません。)

それは、私たちが、本気で治療、セラピーに瞑想を用いているからです。

一日一組限定 yogaプライベートダルシャン申し込み↓

スミヨシ接骨院 0561ー55ー0377

 

この世界は全て現実だというウソ

嘘つきは泥棒のはじまり!

と、子供にキツく言う親は、既に大泥棒であるということを話ます。

「瞑想」を学ぶことで今までの自分自身の性格を変えることを期待する人がいます。

もちろん!それは、本人の自由です。

しかし、自分の性格まで変える必要はありません。性格を変えてしまったら、

今の貴重な気づきを持ったあなたは、どこへ消えてしまうのでしょう。。。

自分を変えたいという意思は結構ですが、今の自分がダメだから変える必要があるなどと自己否定からの改革は面白くありませんし、それは、成功しません。

ここでいう瞑想による成功とは、「あなた視点」を変えるということです。

あなた視点を変えることこそが、あなたの意識革命です。

瞑想をし続けていると、徐々に意識が変わると過去の先生方は、おっしゃいます。しかし、量子力学と物理学、科学が瞑想を証明している現在、それは、間違いです。

意識というのは、突然、しかも一瞬で変わります。

ただ、変わったことに気がついていないことに気づいていないだけです。

私たちは、みんな夢の中の自分を演じているのです。

確認のように何度も言いますが、全く気づいていません。

この世界は、全て夢です。

だから、辛いことがあった時、現実に感情移入し過ぎて、あまり現実を深刻に捉えすぎないこと。

と、ヨガは、こういうことを教えてくれます。↓

『瞑想的な人はくつろいでいる。瞑想的でないと人は緊張している。』

例えば、

「はい。指先を意識してください。」と言われたら、

働いているのは、なんですか?

指先に向かって働いたものは、それが意識なの?

それとも、指先を感じているものが意識なの?そのあなた全体を存在させているものは?意識じゃないの?

全く気づいていません。

この世界は、全て夢だからです。

もちろん、これをはじめからこれを受け入れることは難しいでしょう。

こういった話は、知ってればいい話。難しく捉えて心苦しくならないように、

最初は、信じなくてもいいから、いつも通り、

そう!いつも通り、

瞑想を「知ってるつもり」ぐらいでいきましょう。

「夢も現実も全て作り出しているのは、あなたの意識です。」

それを最速で理解するためには、「瞑想と行動」を起こすことが重要です。

ていうか、それしかありません。それ以外にありません。

意識を理解するために瞑想ってのはわかるけど、行動って何するの?

行動というのは、捧げる行いをするということです。

他のために自分の体を使うということです。

別名これを「バクティーヨーガ」といいまして、ヨーガの世界ではかなり高度なヨーガの位置に君臨するものです。

一番簡単で、この後すぐにできるバクティーヨーガ、それはあなたの笑顔を他人に見せることです。

このブログを閉じて、最初に顔を合わせた人に笑顔を見せる=それがあなた視点を変える重要な行動の一つになります。そして、→意識は改革される。

心のバランスを失うと、誰でも生きにくさを感じます。

なので、より快適に生きやすくする為の修行、→それが瞑想です。

修行というとハァハァと息を切らし、汗をかいて鍛える。そんな「修行イメージ」がありますが、瞑想修行は、古来からあり、脳科学分野では、最先端をいっています。

そして、瞑想は、完全な内面的なものです。基本、体は動かさないので、背骨をまっすぐにし、呼吸は穏やかでいますから、特に発汗はしません。

しかも、ゾーンに入るところまで待つことができれば、脳からセロトニン、メラトニンなどのご馳走ハッピーホルモンが分泌されることで、とても気持ちよくなってきます。背骨を真っ直ぐに保てれば、辛さよりも気持ちよさ、エクスタシーを体感する。僕は、瞑想修行のそういうとこが好きです。

意識を一点に固定させることができるような人を瞑想、またはヨーガの上級者といえます。

懐の深いヨーガによって、私達は、自分自身を深めていくと、みんな、あるポイントにたどり着くと思います。

それは、「自分の本体は意識である。」ということに気づくことです。

自分そのものに気づく練習がいりますね。というのは、、、、

自分は怒っているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、それすら気づいていない自分がいるときが誰でもあります。そして、仕事とか、子育てとか自分の生活環境内で繰り広げられる外的要因に自分の感情そのものを起きている事柄と同化させてしまうことがあります。

結果、それは「睡眠や瞑想」によって蓄えた貴重な生体エネルギーを使いまくり、精神的にも肉体的にも自分を疲労させます。これは、自分の老化を進める以外何も生まないのです。

本来意識であるあなたは、現実の出来事に反応して、辛いからといって落ち込むことも、悲しみそのものになる必要もないのに、感情移入してしまうことで余計なエネルギーを使うのです。

そうなっていること、あったりしませんか。気づいていれば、あなた視点を離せればいいのですが、気づいていないと自分を苦しめる原因となります。

まさに映画館で怖い映画を観て芯から怯えながら、それが真実と思って疲れるのと一緒です。映画館では席を立てば、終わりますが、現実では、切り替えられないと、そうはいかない時もあります。

だから、それは「この世界は全て現実だというウソ」を知らないからそうなるのです。

私たちは、意識です。

意識があって、→心があって、→感覚が働き、生体電流が流れてる生気体があって、肉体があるのです。(これについては、後日、パンチャコーシャのコーナーで説明します)

ほとんど人は、自分の死を悟る時(意識が肉体から離れる時)まで、自分という存在は、少し考えることができる程度の思考能力を持った肉体そのものなのだ、と本当に思っています。

「知ってるつもり」でいいので、今、それを変えてみましょう。

私たちは、意識です。私だと思っているあなたは、「マインド」という存在です。そのマインドという存在は、至福という素材でできているのです。

ややこしい話をここまで読んでくれたので、もう言葉にして言ってしまいます。

『我が身は枯れても愛は死なない。』てか、意識は死なないのです。

自殺するとずっと残るとはそれです。

その意識が、今とは別の場所で目覚めることを、あの「覚醒」といいます。

覚醒には、瞑想が必要です。

目が覚めた時、「あぁ、現実という夢を見ていた。。。」となるんですね。

そして、90%以上見ていた夢の内容のことをスッカリ忘れるというカラクリになっているのです。最悪の現実さえもそこから消えてしまいます。ナンジャコリャ?

サンスクリット文献や仏教典などでは、この目覚めのことをモクシャとか、輪廻からの解脱とも言います。

なんかどっかで聞いたことありませんか?

ということで、毎日「瞑想と笑顔」を欠かさず練習しましょう。

これは、あなたにしかできない重要なことだから重要なんです。

それにかけた物理的時間は、仕事でどんな儲けを出したことよりも、どんなに人を愛することよりも圧倒的価値があるといいます。

あなたに一番合った瞑想のやり方は、yogaプライベートダルシャンに申し込んでください。↓

スミヨシ接骨院 Tel 0561-55-0377

(瞑想を用いた効果的な療法は、カウンセリングを必要とします。)

瞑想のやり方は、いくつもありますが、自分がピン!とくるものを選んで

それだけを深く練習する、練習し続けることが大事です。

書籍やネット、自分で探し、一つ一つ試していくことでも良い瞑想法に出会えると思いますが、ヨガチャリアから瞑想を学べば、その時間と労力を74分の1に短縮できるでしょう。

そして、その瞑想によって、健常な体で生きた場合の霊的成長1年分に相当する精神的成長を1分で可能にします。本当です。

呼吸に障害がなければ、小学生から瞑想を学ぶことができます。

yogaプライベートダルシャン申し込み→ スミヨシ接骨院 Tel 0561-55-0377

自由って一体なんだ!どうしたら自由になれるかい?

私の場合、ヨーガについては誰よりも詳しいですが、ヨガを求めて今に至ったというより、インドに行ったことで、インドカレーが美味しい!カレー大好きだ!が先にあり、その途中でお世話になったインドの家の人の宗教観、インド神話、インド哲学、インド生活の中でヨーガを知っていったわけです。

ただ、ヨーガを知っていく過程で、俺、こういうこと知りたかったんだよなぁ。というのは、言葉の意味がわからないやり取りの中でもなんか感じてくるものがありました。

別にヨガへの入りは、人によって自由。入り=自由。ゴール=自由。始めるなら、いつかは辞めるかも自由。を説いているのがヨーガです。要するにヨーガはというと、、、、

えぇと、ヨーガを理解すると、人は、人生の永遠のテーマである「自由」になれるのです。

それまで、僕は、人生の永遠のテーマは金持ちになることだと思っていました。

みんながなりたいと思う人気ナンバーワンである「幸せ」という願いは。。。。

自由の中にあるんです。

これは、愛が愛ではないものも包括しているから、愛はすごい!というのと同じで、自由は、幸せも包括しているから永遠のテーマ「自由最強」なのです。

ヨーガとは何か的な話で、私が思うにヨーガを学ぶことで

なれる自分というものがあるとすれば、「執着からの自由」です。

自分の体型に対する執着が強い米国人と日本人は、フィットネスヨガがお好きだ。と言われる。悪いことではないし、スーパーいい事でもない。どっちでもいいことだ。

ヨーガを見つけてくる人は、面白いことに、世界中のどこにいてもあらゆるヨーガを見つけてきます。

それは、今のあなたのことです。

ハッキリ言いましょう。あなたには今もこれからも「瞑想」が必要ということです。

興味ある方はヨーガ練習会に参加ください。

神を見つけるための技法がヨーガ。神を見つけ神を知り神と一体となると最強!というのが一番わかりやすいヨガのゴールです。

ここで間違って欲しくないのは、だから、ヨガは神を信じましょ。という話ではないこと。

神のことは、知ってればいいのです。信じなくていいのです。

神は、むしろ、「知ってるつもり!」ぐらいが丁度いい。

信じるというのは、信念を掲げた心の働きなので、実は、肉体や物質と同じく、いずれ変化するものです。あぁ文章にすると難しいなぁ。。。。

練習によって集中力を高め、想念によってあらゆる願望を心のスクリーンから現実に物質化する練習、それがヨーガです。
集中力、想念??物質化??一見完全不明な下りですが、私は、理解した後、かなり惹かれました。

何故なら、自分は、超怠け者だからです。

あぁしたい、こうしたい、あれが欲しい、これを無くしたい。。。自分の願望を満たすために、わざわざどこかに何かを。。。とか、そういうのかなり面倒臭がりなんです。

自分の内面で全てが完結できるなんて、なんてお手軽で、しかもそれこそが最も強力な方法だと知ったので(いやいや知ってるつもりになったので)、それを試すことにしました。それがヨーガとの自分です。今も(自由になること)その途中です。

体の健康状態や生活の環境の改善にも人生の何にでも当てはめて使えるのですが、その正しいやり方、進め方を知らないがために、自分にはできないと諦めてやめてしまいがち。

例えば、集中力を使い想念の力を働かせ、ものを物質化させるのにどのような練習がいると思いますか?こっからいい話に入ります。

こういうことって学校で教わらないですよねぇ。

想念の力を働かせ、ものを物質化させるための。。。。

練習?

その練習というのは。。。。

「頭の中のおしゃべりを止める練習」です。(大事なので赤字にしました。)

宇宙人からすると地球人は、これができないから未開人というのです。

何かピンときた方は、練習会に参加しにきてください。呼吸に障害がなければ、小学生からOK。

スミヨシ接骨院 Tel 0561ー55ー0377

ある程度の根気は必要ですが、

私たちは、これまで子供の時から、「頭の中のおしゃべり」を止める方法を学んでいません。だから、個の潜在能力を使えていないのです。

この頭の中の止まらないおしゃべりは、人生があなたに瞬間、瞬間に用意してくれるスペシャルタイムを取り逃がしてしまう原因となるものです。

「頭の中のおしゃべり」がノンストップな状態というのは、ずっと今に集中していないとか、過去未来にいて、そこには、不安と恐怖しかないので今現在にいない状態、安心していない状態にあります。

だから、緊張せずに安心してください。

この世界は、全て夢です。

 

発祥インドインドというけれど

ヨーガというとインドの!というイメージがあると思いますが、本当のこと言います。

30歳の時、訳あって、インド全域を東西南北、旅しました。

この旅での後悔が、あるとすればサイババに会いに行かなかったことです。

日本での仕事の予定予約を保留していたので、3週間ほどで行って帰ってくる予定でいましたが、日本で生活していて、日々かかるお金と比べ、日々インドを旅していた方が、圧倒的に経済的だったのと、カレーが美味しかったので、食に問題がなかったので、全部で3年ほど旅をしました。その時わかったのは、インドの人は、日本でみんながスタジをに通って、服を着替えて練習するというようなヨーガのスタイルはありませんでした。むしろ、食、風習、生活そのものに、これがヨーガかぁ。と徐々に徐々に感じさせられた気がします。

宇宙からヨーガの一部が、インドに降ろされて、インド思想と混ざり合いつつ、世界に同時発祥的に広まったもので、ヨガは、インド発祥ぽいですが、実は、その根本はエジプトでもヨーロッパでも南米でも世界同時発祥です。文明のあった場所を調べるとわかってきます。ただ、精神的なものなので、それを現在の量子力学や物理学のように解明して発表しているものがないのでわかりにくいのです。ようやく解明され始め、インドの昔の人が言っていることと一致していることが明らかにされました。

そう言ったサンスクリット語文献が残るものを翻訳するのに膨大なお金を寄付した人がいて、その人の名は、ジョージ、ハリスンという昔、今世では音楽で財をなした人が寄付して科学との一致を達成しました。

コンピューターの世界、インターネットの世界を開いたのは、オタクとヒッピーであり、ヨガの世界的神道の立役者もほぼオタクとヒッピーによって研究され広まりました。

やり方とか体系はインド人が作りました。しかし、ヨガは地球全域、または、人の魂が発祥であり、人間が感得したのは、世界ほぼ同時です。だと思います。

昔から、人は、何かを欲し、いつでも求めてきました。

人の煩悩。というもの

インドの聖典ヴェーダ(ウパニシャッド)にレベルの低い、その当時の人類が、今後精神的に成長し、ヴェーダを理解できうるようになるために、このことが段階的に書かれていて、はじめ(序章)は、人の欲する思いをこの空間世界で実現する方法を解いていて、後半は、それらを手に入れたところで、結局は全く意味がないということを知る。と最終的に説いています。なんじゃそりゃ!
そして、このことを極限にわかりやすくヨーガとして体系化したのが、パタンジャリ大師をはじめ、インド人です。

だから、私のような一般人でも、そういうことが少しでも理解できるよう説明したインド人を天才!と思います。

そのインドの賢い人が、ヨーガというのは、魂の科学です!と、説いているので、ヨーガには全人類共通の何かがあり、
インドインドと固執する必要はなく、呼吸することのように、地球の酸素の吸引に規制などないように、誰でも自由にヨーガすればいいのです。

ただ、やり方が伝わっていないというのが、今でも世界的現状三蔵法師、昔、「じゃ、私がそのやり方を天竺に学びに行って、漢訳しましょ。」と三蔵法師が生涯をかけたのは、そこなんです。仏典と言われていますが、あれも内容は完全にヨーガです。

だから、インドに縁も所縁も感じない人でもヨーガをすることに多大なメリットはあるのですよ。

それならじゃぁ、今世を生きてる間にヨガやってみよか。

という方は、気軽に練習会にご参加ください。

わざわざ文字を読んでるより、それが一番いいです。

スミヨシ接骨院  0561ー55ー0377

今日のレッスンはここまでにします。

レッスン?

生死問題からヨガの紹介


昔、沖縄に住んでいた時に、そこがとても田舎だったから、名古屋から引っ越してすぐに食べるのに困った。

隣の家のおばぁがよく貝や野菜をくれて助かったけど、20代の僕らにはもっと食事が必要だった。

それで、家でヨガ教室を始めた。その時は、ヨーガではなく、ヨガ。この違いは後ほど説明。

昔付き合ってた彼女が、僕が、海外に行ってる時に僕の部屋に一人で住んでいたことがあった。

で、その間に彼女がそのマンションのすぐ近くにあったホットヨガ教室に行ってヨガを受け一発で感動したそうで、
私は、将来ヨガの先生になりたいといっていたので、

一緒に沖縄に引っ越したその彼女とヨガ教室を家で始めた。

近所にヨガの先生がいなかったので、ヨガは何を人に教えてくれるのか、ヨガの本質を知りたくインドに見にいった。

ネットで調べたヨガを教えてくれる機関は、東京にもLAにもあったが、それを受講する期間の金額で、インドに一年暮らせるなと思ったのと、ゆっくりインドに行きたかったという思いと半々でそうした。

ヨガの事情、現代人のヨーガの必要性など全くわからず、まず数週間北インドで過ごし、ガンジス河沿いの穴に住んでる髭男からヨガのプラナヤマを教えてもらった。その後、インドを一周しながら、ヨーガを旅した。

思い出深いヨーガの先生は、イスラエルの人です。
本業は国立医療センターの医師。と名乗り一年の半分以上をインドで過ごしながら、ヨガを教えている人でした。

習ったというか見様見真似。とフィーリング。

ある日、バイクで転んで怪我をしたために首にコルセットを巻いて歩いていた僕にカフェで会った二人の若い男女から、

「それならyou! drのマハシッダヨーガ受けたらいいよ。」とdr.エンドルの紹介を受けた。

冬は、インドのヨガの聖地と言われる村で、春から夏に向けてヒマラヤのチベット仏教聖地でヨガのクラスを開催しているイスラエル人の医者?。。。。。。それのどこが医者なのか、かなり謎に思えた。

そして、秋にはイスラエルに戻るらしい。その秋というのは、ある植物の成長収穫に関係していて、
医療に大いに関係しているらしい。その植物とは大麻=マリファナだと言った。

日本では、非合法になるが、そこイスラエルは、医療的に合法であり、医者から処方され、イスラエルは世界宗教と
医療大麻発祥の地だとか聞いたが、ヨガのクラスでマリファナを勧められることはなかった。

このクラスに毎日参加していたのは、男女10人ぐらいで彼らは将来この医療センターに従事するという
就職前の旅行中のイスラエルの若者たちだった。

その中の男女、ソフィアとビスティスが僕にエンドレを紹介し、エンドレが僕にマハシッダヨガを紹介した。

僕は、その中に交じって毎日クラスを受けた。言葉もヨガの内容もわからないことが多く、とにかく見よう見まねで。

その頃、まだネットでしかヨガのクラスの風景を見たことがなく、女性ばかりのイメージがあり、
それだと参加するのに恥ずかしい気もあったが、僕以外に3人の男の生徒がいたので参加に抵抗はなかった。

ヨガクラスを始めるきっかけは、自分にとってのヨーガを深めるためです。

僕は、2011年の1月からヨーガを毎朝日課として5年間ほぼ毎日練習しています。

練習といっても試合のための練習ではないから、ルーティーンのようなものです。

でも、毎日完全な集中を保ってできているわけではなく、集中が散漫な時もある。

瞑想中眠ってしまう時もある。練習することの目的にゴールがないので出かける前に毎日繰り返し行う。

やってることは、アーサナ、プラナヤマ、瞑想の一通りの90分のルーティーン。

繰り返しおこなっていることは、単純単調な練習ですが、それがあれば、大丈夫って思える気持ちがある。

あと、気持ちがいいという気持ち。

そして、自分ていうのは、肉体をまとってる意識なんだなぁって、実感がようやく芽生えた。

それをさらに深めたいから、クラスを始めようと思ったのがきっかけです。

こういうのは、僕が考えたものはなく、伝わったものをそのまま伝えるだけなのですが、

真実を正確に伝えるというのは、思いつきで自分で考えたものを伝えるよりも慎重になる。